INTRODUCTION

知的好奇心を刺激する!
背景を知ることで、より深く曲を知る!
違う角度から作曲家と曲を読み解くレクチャー・コンサート

フィギュアスケートの曲にも多用され、数々の作品が日本でも愛され続けているラフマニノフは、
偉大な作曲家であると同時に、リストと並び称されるほどのピアニストでもあった。
チャイコフスキーに憧れ、文豪チェーホフとも交流を持ち、亡命後もロシアの情景に想いを馳せていたラフマニノフ。
彼の生涯から、作品の背景を読み解き、自身の作品の他、
チャイコフスキーやショパンなど関連の作品をお聴きいただく、レクチャー・コンサート。
演奏は、ラフマニノフと同時代に生きた画家カンディンスキーの血を引き、
ラフマニノフ演奏家として名が知られるミハイル・カンディンスキー。

ラフマニノフを深く知ってみませんか?

Rachmaninov Substantially Biography
ラフマニノフ略年譜
ラフマニノフ略年譜
1873.4.1
ノヴゴロド州セミョーノヴォで誕生
1878
母からピアノレッスンを受け始める
1882
一家の上京;ペテルブルグ音楽院附属音楽学校入学;両親別居、妹病死
1885
モスクワ音楽院年少部へ転校;師ズヴェーレフ宅での寄宿始まる
1887.11
現存する最初の作品を書く
1888
音楽院高等部入学(ピアノ:ジロティのクラス、作曲:アレンスキーとタネーエフのクラス)
1891
作品が初めて公開演奏される;ピアノ科卒業;ピアノ協奏曲第1番op.1
1892
作曲科卒業、モスクワ音楽院から大金メダル受賞;歌劇《アレコ》;
幻想小品集op.3
1893.2
自作品の海外初演
1894
2つの女学校で非常勤音楽教師始める
1895.12
オーケストラ指揮デビュー;交響曲第1番op.13
1897.3.27
交響曲第1番初演失敗(再演は1945.10.17)
10.24
《サムソンとデリラ》でプロのオペラ指揮者デビュー
1899.4
ロンドンで海外デビュー(指揮とピアノ)
1900.1~3
ダーリ博士の催眠療法を数回受ける
1901.4
協奏曲第2番op.18
1902
従妹ナターリヤ・サーティナと結婚
1903
長女イリーナ誕生;10の前奏曲op.23
1904秋
ボリショイ劇場副指揮者就任(2シーズン)
1905
皇帝政府への抗議活動
1906.11
ドレスデン移住(~1909.4)
1907.5
パリで「ロシア・シーズン」に参加;次女タチヤーナ誕生;交響曲第2番op.27
1909
秋、初の米国旅行;協奏曲第3番op.30を米国で初演;
交響詩《死者たちの島》op.29
1910~14
指揮者・作曲家として多忙な活動;クセヴィツキーと共に国内慰問(1914)
1916末
国内情勢悪化;父の死
1917.9.18
ヤルタで国内最後の演奏会;練習曲集《音の絵》op.39;ロシア十月革命
12.24
家族と共にロシアを去りストックホルムへ
1918.11
アメリカへ移住、マネージャーを雇いスタンウェイと契約
1919~25
多忙な演奏活動
1925
長女の夫の死、初孫ソフィア誕生;パリに出版社「タイール」設立
1926
暮れから9ケ月演奏休止で作曲専念;協奏曲第4番op.40
1931.1.15
ソ連批判声明文→33年まで祖国で演奏制約;コレルリ変奏曲op.42(最後のピアノ独奏曲)
1932
スイスのルツェルン湖畔に別荘「セナール」建設
1934
「セナール」完成;パガニーニ狂詩曲op.43
1934~36
欧米で多忙な演奏活動
1936
交響曲第3番op.44
1939.8.11
反ファシスト音楽祭出演(欧州最後の演奏会);再び米国へ
1940
交響的舞曲op.45(最後の作品番号)
1941
独軍ソ連侵攻に伴う祖国救済活動
1942
カリフォルニアのビヴァリーヒルズヘ移住;デビュー50周年;肋膜炎発病
1943.2.1
米国市民権取得
2.11&12
最後のオーケストラ協演
2.17
最後のリサイタル
3.26
危篤 ソ連より70歳誕生日祝電
3.28
永眠 (癌の全身転移)
私のことを知りたいなら、私の音楽を聴きなさい - 激動の時代に生きた稀代のメロディ・メーカー -
Extraordinary Melody Maker Lived in Turbulent Times
私のことを知りたいなら、私の音楽を聴きなさい
- 激動の時代に生きた稀代のメロディ・メーカー -
シンプルで、美しく、強烈な印象を残すメロディーを生み出す天才セルゲイ・ラフマニノフ。彼のメロディーについて、マリインスキー劇場芸術監督ゲルギエフは、かつてこのように語っています。「終わりのないメロディー。それは広い意味でいえます。聴いていて絶対に『なるほど、わかったからもういいよ』という気になりません。もっと聴きたい、ずっと聴いていたい。このメロディーに導かれて、次のイメージは?その次は?またその次もみたい・・・となるのです。丁度、次々とドアが開いて、新たな視界が開けていくように・・・」
音楽を単なるリズムと音色ではなく、感情を簡潔な形で表現するものとして捉えていたラフマニノフ。「ラフマニノフ«音楽とその生涯»」は、ラフマニノフが自身の心を投影した曲の数々を、彼の激動の生涯を辿りながら、読み解いていくレクチャー・コンサートです。
チャイコフスキーに憧れ、モスクワ音楽院でスクリャービンと切磋琢磨し、才能を開花させた青春時代。ピアノ協奏曲第2番、交響曲第2番、合唱交響曲「鐘」を作曲し、熱狂的な称賛を得た青年期、壮年期。第一次世界大戦が世界に影を落とす中、
革命の波にのまれていくロシアを心ならずも離れた亡命後の苦悩。亡命者とみなされたラフマニノフの曲はロシア(当時ソ連)では反動的とされ、演奏禁止されます。それでもなお、ラフマニノフは、祖国ロシアへの望郷の念を持ち続け、第二次世界大戦下、ナチスに侵攻される祖国を憂い、救援活動を行います。その中での演奏活動、作曲活動。
「音楽とは心の喜び」と表現し、「音楽というものは、平和で平穏なところでないと成立しないものだ」と語ったラフマニノフ。これらの言葉の生まれた背景を知ることで、彼の残した名曲の数々に近づけます。
Lecture Concert
知的好奇心を刺激する!
より深く曲を知る!
レクチャー・コンサート

演奏だけを聴く通常形式のコンサートと違い、講義の合間にピアノ演奏が入る形式で進められるこのレクチャー・コンサートは、作曲家の生きた時代、置かれていた状況などを知ることで、演奏曲の作られた背景を知り、違う切り口から演奏を聴けるコンサートです。
ラフマニノフの生きた時代のロシア、そして、彼の抱く普遍的な音楽への想い。それは、今の時代にも繋がります。
フィギュアスケートやドラマなどで幅広い世代の方に耳に覚えのあるラフマニフの曲を、もう一歩踏み込んで知り、お客様それぞれの観点から、ラフマニノフへの造詣を深めていただきます。日常に生きる多くの人が持つ、知的好奇心を刺激します!
※スクリーン使用予定

知的好奇心を刺激する! より深く曲を知る! レクチャー・コンサート
予定プログラム ラフマニノフ: 前奏曲 op.3-2 ピアノ協奏曲 第2番・第3番(自作自演録音使用予定) パガニーニ狂詩曲 第18変奏 ヴォカリース(ピアノ編曲) 歌曲「リラの花」(ピアノ編曲) 楽興の時 op.16 24の前奏曲 ソナタ 第2番 コレルリの変奏曲
※以下ゆかりの作曲家作品 チャイコフスキー:トロイカ ショパン:ソナタ 第2番 シューマン:謝肉祭
Lecturer: Fumiko Hitotsuyanagi
講師:一柳 富美子(ひとつやなぎ ふみこ)
音楽学者。東京外国語大学卒業、東京藝術大学大学院修了。東京藝術大学、上智大学ほか講師。ロシア音楽研究会主宰。ロシアオペラ声楽史とピアニズムに特に造詣が深い。
研究・執筆やロシア語声楽指導のほかに音楽通訳・翻訳を手がけ、邦訳した作品は大曲だけでも50を超える。2011年史上初のロシア音楽会議(イギリス)日本代表。
『ショスタコーヴィチ第12交響曲の分析』(1996)は5ヶ国語で紹介されロシア交響曲事典にも掲載されている。 2012年に東洋書店より『ラフマニノフ 明らかになる素顔』を刊行。
ピアノ:ミハイル・カンディンスキー
Pianist: Mikhail Kandinsky
ピアノ:ミハイル・カンディンスキー

1973年モスクワ生まれ。大画家W.カンディンスキーの家系に当たる。
グネーシン音楽学校在学中ロシアオーケストラとプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番を共演しデビュー。モスクワ音楽院を首席卒業。全額給費特待生として渡英、英国王立音楽院大学院修了。ウィンゲート賞受賞。
ロシアをはじめヨーロッパ各地でリサイタルや音楽祭に出演、その音楽は心に沁み入る美音と優しさ、詩情に溢れている。

特にラフマニノフを中心とするロシア音楽では「多くの音楽家たちが今日聴くことのできる最高峰として受け止めるであろう」とロシア本国から高く評価され、モスクワ・ラジオ放送録音の「ラフマニノフ24のプレリュード」は今なおモスクワに放送される。